花と思考

 

 

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部屋に飾る花には色があったほうがいい。いつも花を買いに行っていたお店がなくなっていた。

ほかに思い当たる場所もなくて、家の庭に咲いてある花を摘んで部屋に飾った。

 

昔から空想をほとんどしない人間だった。果てしなく現実思考。苦しくなったときもその現実と直面して向き合ってしまうタイプで、空想の世界に助けを求められる人間ではなかった。今も。

だけど本は好き。

 

 

これからなにか失敗しても向き合っていきたいです。そのための素地を今まで作ってきた。

これからどうなるのかな。不安というよりも、今はどうなるんだろ〜っていう ふわふわした感じ。

 

 

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おわり。

 

 

 

おまもり

 

 

救いみたいな言葉や文章を書ける人、存在してくれてありがとう。

同じような悩みを持っている人の存在を知ると安心する。自分だけじゃないんだと思える、がんばろうと思える。

 

 

 

自分の心のよわさ、不安定さがすごく気になってしまう。いろいろ不安で、先生に相談してたら この仕事 心のよわい人じゃないとできないよ、心のつよい人って寄り添えるとおもうかな。と言われて、その通りかもしれないとおもった。  自分の特性を活かしたい。

 

 

 

部屋の窓から雲の流れをみたときのことを思い出した。忙しいと、そういう瞬間のことをまったく考えられないのがかなしい。日記を書いたり 写真を見返したりしてそういう瞬間を思い浮かべる。

まわりと同じように前に進もうとして、その先を想像するのがこわくて、だけど努力しないといけない。なにか選択して進まないといけないとき、グラグラしてしまう。みんなそうだよね。

 

 

でも時間が経つと落ちついてきた。

またいつ不安定ちゃん(名前を付けました)がやってくるかわからないけど、今は今を過ごそう。自分なりにがんばればいい。

 

 

 

 

 

 

安定。

  

 

 

自分がちゃんとあるみたいな感覚を段々と取り戻してきた。ちょっと生きやすい。

 

 

これまでなにか特別 困ったりつらいことが起こったときにしか カウンセリングに行ったりしなかったんだけど、定期的に(1ヶ月に1回くらい)行こうかなあと思っている。

心が不安定にならないための、なっても整理してバランスをとっていくための手段の大きな1つになった。

 

わたしの友達の何人かは、相談するの苦手って思っているらしくて なかなか人に話せないと言ってた。以前のわたしもそうで この大学4年間で人に話す、相談するという選択ができるようになった。

小さい頃から 家族に今日あったこととかを話したことがなくて、友達がそういうことをしているのを聞いて かっこわるいと思っていたし、話せる人もいなかったし 話してもなにか解決するわけじゃないと思っていた。それに わたしはいつも問題が即解決する答えを求めていたのかもしれない。

 

だから 話すことが大切だということに対して、効果を感じるのにこんなにかかってしまったのかな。相談したり カウンセリングを受けたりすることが悩んでたりもやもやしてる人たちにとって もう少し敷居の低いものになればいいなと感じる。

 

 

 

ここ最近のメモ。

 

・自分の時間がとれたり、休めたりすることでの利点がわかるようにする  そしたら罪悪感をもたなくてもいい

・自分を大切にする選択ができるようになった

・刺激ではなく 安心することに楽しさを見つけられるようになるといいかも

・不安は準備して解消されるものとされないものを分類する

 

わたしは自分の存在価値を 他者評価に頼るほうに偏っていて、だから自信のなさから、誰か特定の相手(自分のことを好きでいてくれる相手)が必要になってしまうこと や

母親との関係性の欠けた部分をその相手に埋めてもらおうと望んでいること

などなどに 気づけてきた。

一人でも居られるように‥ってずっと思ってきたけど やっぱり一人だと感じることが一番こわくて(でもそれって人としてふつうのことかもしれない)、 今は 安定した相手をえらぶってことを大切にしようと思っています。

 

 

これからもいろいろなことに少しずつ気づいていける気がしてます。

 

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↑ 以前のメモ。

 

 

 

 

いろいろな思いを抱きしめて眠る

 

 

 

コーヒーにリラックス効果があるなんて知らなかった。普通に好きだったけど、悪だとおもっていた。目が冴えて体がきつくなるものだとおもっていたけどそうじゃなかった。

 

 

心と体のメンテナンスを怠らない。

一日一日を生きていけばいい。根っこの部分だけ大切に守っていけば大丈夫。

わたしの根っこの部分はなんだろう?

 

 

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明日は水筒に ホットコーヒーを入れていこう。

最後の1週間だよ。

 

 

 

たのしかった日の記録

 

 

 

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8・12

ひさしぶりのおでかけ。

ともだちとムーミン展にいった。

ようやく夏休みに入って、(といっても実習があるからかなり短いんだけど)バタバタしてたのが すこし落ち着いてきたのでようやく行けた。

 

大分県立美術館に来るのは はじめてで、県内でこんなかわいらしい展示をしてもらえるのはありがたかった。。

 

子ども連れも多くて、美術館にしてはざわざわしていたけど 全然気にならなかった。

絵がすきだから 自分もまた描きたいなっておもえたし、インスピレーションを与えられた気がする。

 

 

 

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タピオカも。

たのしい一日の記憶を残していきたい。ともだちと話して元気になれたり、自分が考えすぎてたりおかしかったところに気づけたり。

すこしでもたのしい、明るい部分を大きくしていきたいなと思う最近です。

 

 

8.10

 

 

出かけたらいいことがあった。

 

本屋さんで、以前 わたしが同じ場所で気になっていて買った本を立ち読みしているおばさんがいて、それを見てなんだかうれしくなった。自分が興味をもって読んでいた本を ほかの人も同じように興味をもって手にとっているのをみると仲間意識というか、こういう人も同じ本に興味があるんだ!と思えて。

 

 

本を買ったとき 店員さんがやさしそうな人だったりして、自分が弱っているときって ほんの些細なことに関心を向けられて、いいこともあるなあ。

 

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たまたま手にとった本が お気に入りになった。

自分の好きだったこと(本を読むこととか)をおもいだしてきて、よかった。もう忘れたくないし これから増やしていきたい。

 

 

雑記

 

 

人には簡単に励ませることも、自分にはまったく通用しない。自分に共感力があるのかないのか、わからないでいる。不自然になっていないかとか、こんな返しでよかったのだろうかとか、他者からの評価ばかり気にしてしまっているのかもしれない。

 

評価について。わたしは評価についてマイナスのイメージを持つ。いろんな場面でついてまわるものだけど、それがときにすごく不快で、悪影響を及ぼすものだと思うときがある。よくてもわるくても。

 

 

 

気に入っていた指輪をどこかに落としてしまった。

まだ読んでいない本が山ほどあるのに、いいなと思う文章をツイッターで見かけると本を買いたくなる。そしてもしそこで本を買うと 買ったことに満足して まだ読んでいない本たちの仲間入りを果たしてしまうのだけど。

ひさしぶりに本を読んで涙が出て、こういう時間が必要だったんだと再確認する。

 

駅ですごくきれいな女の人をみたら、心がおちついた。

外見も内面もきれいになれるようにがんばってたら自分に自信がついて 不安定さもおちついていくんじゃないかなと考えた。通学時間にいろいろ考えるのね。

最近よく話すようになったともだちは 化粧をしっかりする子で、いっしょにいると自分の化粧のうすさが悲しくなってしまうので、がんばることにした。

 

 

前回 相談室に行ってから1ヶ月経ったのでそろそろカウンセラーの先生に会いたい。カウンセラーの先生が頭の中にあらわれるだけですこし安心する。正直、先生が普段どんなことしてるのかとか すきなものとか個人的にすごく知りたくなるけど、そういうのはだめだとおもうのでなにもしません。